投稿日:2016年07月29日
格斎さんの解説によると
ここは市街の西の境である。
簡単な冠木門がある。ということはこれより外に
お百姓さんが住んでいるということになる。
小屋は口屋。正式には口留番所というらしい。
幕府でいう関所のようなもの。
各藩の境界や交通要所に置き、怪しい人物や物品をチェックしたのだ。
関門を守る大事な場所なのだろうが、口屋番の姿が見えない。
お出かけなのか、常時は居なったのか。
近くの日原に口屋橋という橋があるが、昔そこにもこんな口屋があったに違いない。
気になるのはその門のそばにある二つの郵便受けのような箱。
何なのだ?
答えは市街全図の解説に書いてあった。
市街の境界には必ず守り札箱が置かれてあるとのこと。
城下に邪鬼が入らぬよう邪鬼封じのおまじないが入れてあったのだ。
成程。流行り病や伝染病、天災など当時は邪鬼としか思えなかったであろう。
それを封じるお札が入っていたのか。東西南北といえば増長天や毘沙門天の類だろうか?
それとも日本の神様か。どんな札だったのか知る人がいれば教えてほしいものだ。
城下に入る時も出る時も、神仏の加護に対し感謝と祈りを捧げた人々の生活が偲ばれる、
貴重なワンシーンである。
ちなみに第62図にもこの箱は登場する。南の守りだ。
こうした細かい情報が読み取れる津和野市街絵図は、大変面白い土産品である。
コーヒー一、二杯分たったの500円。お買い得である。郷土館か当センターに置いてある。