百景図よもやまばなし

第24図 馬術の練習

投稿日:2016年07月18日

中小姓以上の子弟が馬術の練習をしたとある。

津和野藩では中小姓以上は約200人の藩士がいる。

その子供たちだけが練習をした。

ということは中小姓以下のものは

馬に乗る資格がなかったということになる。

鴎外の家は徒士なので、当然練習することはなかった。

当時街中を馬でかけられるのは武士の特権でもあった。

わざわざ刀を差して乗っているのを見ると、実戦に即した訓練というところなのだろうか。

駆けている馬に乗っているのは二本差し、手前の武士は一本差しである。

西洋流の乗り方と違い、日本では馬は右乗りだったらしい。

左手は弓を持つので弓手(ゆんで)、右手は馬の手綱を持つので馬手(めて)と古くからよんでいた。

だから昔から右から乗っていたという理由にはなる。

左の腰に差した刀が邪魔だったから右乗りという説があるが、これははっきりしない。

時代劇でチェックしたいが、乗るところや降りるところは大体見せない。

格好悪いからだろうか。

この絵では、乗り終えた武士が鐙を両手に持って裸足で歩いている。

ということは、裸足で乗っていたのだろうか。

よく見てみると、隣の馬上の武士も裸足のようである。

馬の手入れは中間の役目。

走った後の馬の汗を流してやるのは、衛生管理上重要な仕事だった。

津和野の馬術は大坪流だった。

  

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