センター日記

【百景図でまちを読む】築城三石工の墓所 ─ 百景図の石垣に眠る三人と、守り続けた人々

投稿日:2026年09月12日

木々の間にたたずむ苔むした墓石。そこは「山の中の神域」

観光地として賑わう城下町から少し離れ、静かな農村へ。

津和野川沿いの中原集会所近く、木漏れ日が差し込む緑豊かな石段を登っていくと、突如として目の前に現れるのが、この歴史の重みを感じさせる景色です。

地面を埋め尽くす落ち葉のなかに、静かにたたずむ苔むした古い墓石。一歩足を踏み入れれば、周囲の木々のざわめきだけが響く、驚くほど静かで神秘的な空気に包まれています。

苔むした墓石が静かに並ぶ「築城三石工の墓所」

津和野城は関ヶ原の戦いの後、初代津和野藩主となった坂崎直盛によって大規模な改修が行われ、今に残る見事な総石垣造りの城郭へと生まれ変わりました。その際、紀伊国(現在の和歌山県)から呼び寄せられたのが、築城の凄腕プロフェッショナルであった「根来坊(ねごろぼう)」「阿林坊(ありんぼう)」「南湖坊(なんこぼう)」という3人の僧兵たちだったのです。

『津和野百景図』に描かれた石垣と、語り継がれる悲しき伝承

幕末の津和野を描いた100枚の絵図『津和野百景図』。そのなかの「第一図 三本松城」と「第二図 三本松城出丸」には、堂々とそびえ立つ美しい城郭の石垣が生き生きと描かれています。

第一図「三本松城」
第二図「三本松城出丸」

この絵図に描かれている堅牢な石垣は、根来坊、阿林坊、南湖坊の3人が命をかけて築き上げたものだと言われています。

しかし、彼らは藩主・坂崎直盛によって、城の秘密保持のために殺害されてしまったという、悲しい歴史が地元に語り継がれているのです。一説には、阿林坊はそのまま石垣のなかに「人柱」として埋められたとも言われています。

その後、3人の「たたり」を恐れた人々が、わざわざ城から離れたこの静かな山の中にひっそりとお墓を建てたと伝えられています。

400年の時を超えて、地元の力で守られてきた

そんな悲しい歴史を持つ場所ですが、山の中にある古いお墓は、時代の流れとともに荒れて消えてしまうことも少なくありません。しかしこの墓所は、地元・中原地区の住民の皆さんによって、長期間にわたり本当に大切に守られてきたのです。

この場所は、令和8年3月「伝 津和野城 築城三石工(さんいしく) 墓所」として、津和野町の文化財(史跡)に新たに指定されています。

まずは「日本遺産センター」で百景図をチェック!

山中にひっそりと佇むこの「築城三石工の墓所」は、その背景を知ってから訪れることで、目の前の風景が理解しやすくなります。

センターのメイン展示である『津和野百景図』で、津和野城の石垣の絵を確認してみてください。さらに常駐しているコンシェルジュの方の解説から、津和野城や街の歴史背景を頭に入れておきましょう。江戸時代の百景図の姿を頭にインプットしてから実際の山林や城跡へ飛び出すと、目の前の苔むした墓所が「歴史が息づく感動の風景」にガラリと変わりますよ!

次の津和野旅では、ただの観光だけでは終わらない、山のなかに眠る歴史のロマンを肌で感じる「一歩深いディープな探訪」に出かけてみませんか?

コンシェルジュ集合写真
コンシェルジュ集合写真


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